日本のチーズ工房を訪ね、ワインとのペアリングを楽しむ旅。今回は、茨城県稲敷市の田園地帯に2017年に誕生した「新利根チーズ工房」をご紹介します。この工房の特長は、茨城県唯一の放牧乳を使って作られるということ。果たしてどんな味わいなのでしょうか?
text WINE OPENER編集部 photo 鈴木謙介
目次
■今回お話を伺ったチーズ工房
新利根チーズ工房
住所:茨城県稲敷市東大沼うし新田1510-6
電話:0299-94-3004
営業時間:12:30~16:00
金・土・日曜、祝日のみオープン
https://shintone-cheese.com/(外部サイトにリンクします)
田園風景のなかにぽつんとたたずむ、小さなチーズ工房
茨城県南部、千葉との県境をなす利根川沿いに広がる稲敷市に、職人がたった一人でチーズを作る、小さなチーズ工房があります。工房の名前は「新利根チーズ工房」。2017年に西山厚志さんが立ち上げ、現在も毎日1人でコツコツとチーズを作っています。

工房兼ショップの扉をくぐると目に飛び込んでくるのは、整然とチーズが並ぶショーケース。

「今でこそ12種類のチーズを販売していますが、2017年12月のオープン当日は、1種類しか並んでいませんでした。開店当初からあったのが『新利根ブラン』。その次に『新利根モッツァレラ』、翌年の春に『白霞』が完成しました。
ラクレットなどの熟成期間がそこそこ長いチーズが完成したのは、オープンしてから約2年後でしたね。修行をしていた北海道のチーズ工房でラクレットの製造担当をしていたので、最初は軽く考えていたんですが、実際この工房で作ってみたら全くうまくいかない。菌を扱うには、気温や湿度の違い、器具や熟成庫のクセなどをすべて把握して管理しなくてはならないんです。それらを会得するまでには2~3年かかりました」(西山さん)

12種類のチーズを一人で製造するため、起床は早朝4~5時頃。5~6時頃には仕事をスタートし、夕方まで作業を続ける毎日です。一息ついたら、チーズの発送作業や近隣の道の駅への商品を配達。週末はショップでの対面販売をするため、休みは年に数えるほど。
「月間に仕込む生乳量は500リットルほど。小さいと言われる工房でもこの倍以上は仕込んでいるので、ごくごく小さい工房なんです。もう少し生産量を増やしたいんですが、工房を1人用で作ってしまったから簡単に人手を増やせない。チーズの種類を絞って生産性を上げるという方法もあるのですが、どのチーズにもファンがついていて、そのお客様のことを思うとどの商品も製造中止にすることができないんですよね」(西山さん)
偶然の出会いがチーズ作りの道を拓く
西山さんはもともと地方公務員として、畜産関係の調査研究業務を主とする仕事をしていました。
「酪農の6次産業化の調査研究を進めるうちに、自分でチーズを造りたいという思いがふつふつと湧いてきました。思い切って仕事を辞め、北海道のチーズ工房へ修業しに行きました。」(西山さん)
その過程で知人の紹介で出会ったのが、戦後から稲敷市で酪農を営む新利根協同農学塾農場の三代目で、現在も酪農を続ける上野 裕さんでした。
「私がチーズ工房を開きたい、なんなら自分で牛を飼いながらチーズを作ることも考えている、という夢を上野さんに話すと、『じゃあうちの敷地の一角に工房を作って、うちの生乳を使えばいい』と言ってくれたんです。あと、『酪農で一人前になるには最低10年はかかる。それからチーズ工房を始めたら軌道に乗るのはいったいいつになるんだ』と言われはっとしました。
しかも上野さんは茨城県で唯一、放牧酪農を営んでいる方。修業先の工房でも放牧乳を使っていたのですが、放牧乳は熟成チーズにしたときにうまみの乗りが違うんです。私にとっては願ってもない話でした」(西山さん)
上野さんの誘いをありがたく受け、新利根協同農学塾農場の一角に新利根チーズ工房をオープン。工房の向かいには広々とした牧草地が広がり、工房の隣には牛舎も見えます。
ところで、放牧酪農というと北海道のイメージではないでしょうか。本州の山岳部ならまだしも、関東の平野部ではとても珍しい存在です。次は、上野さんにお話を聞いてみましょう。
酪農を続けるために、模索してたどり着いたのが放牧だった

「昭和20年、戦後すぐに満州から引き上げてきた私の祖父がここで農場を開きました。当時は食糧難で、とにかく米が求められていたのですが、このあたりは沼地で作物ができる環境ではありませんでした。まずは利根川から川砂を持ってきて埋め立てたのですが、砂土壌なので痩せている。そこで土壌改良のために始めたのが酪農だったというわけです。
酪農と農業をやりつつ、放牧を始めたのは私の代になってから。今でこそエコやサステナブルといわれ注目されることもありますが、当時はそんな意識はありませんでした。ただ、酪農で生計を立てるために、必死で考え試行錯誤した結果たどり着いたのがこの方法だっただけです(笑)」(上野さん)
上野さん自身も牧場を継いだ当初は牛舎で乳牛を飼う舎飼いで、一頭からなるべく多く生乳を搾ろうと、穀物飼料を与えていました。
「あるとき飼料の高騰と牛乳価格の暴落が続き、酪農を諦めようかと真剣に悩んでいました。考え抜いた末、たどり着いたのが放牧だったんです。放牧は牧草地に牛を放ち、ある程度そこで過ごしたら次の牧草地に移動させて飼育するスタイル。人の手でエサを与えなくてもいいし、牛の糞は肥料になり、土地は自然に肥える。手間がかからず、エサ代も減るのでコストが削減できます。
ただ乳量も3割くらい減る。小さな酪農家ならトントンか黒字化できますが、大規模な酪農をしている方にとっては3割の乳量減は厳しいでしょう。うちみたいな家族経営だったから実現できたということもあります」(上野さん)
昨今の円安によって輸入穀物飼料は高騰し、酪農業には厳しい時代だと言いますが、放牧酪農ではその影響が比較的小さいそうです。放牧酪農は良いことづくめのように聞こえますがデメリットはあるのでしょうか?
「放牧は適当に放し飼いにしているのではなく、ある面積に何頭の牛が放牧できるか、ある程度決まっています。それ以上の頭数を買うと牛が草を食べ尽くし、地面を踏み固めてしまい、自然の循環がなり立たなくなる。私は今、6ヘクタールの牧場で32頭の牛を飼っていますが、乳量を増やそうと10頭増やしたら、このサイクルが壊れてしまうんです。自然の循環を断ち切らずそこから生まれる恵みを分けてもらうということ。欲を出さず、我慢するという心境になるということがいちばん大切かもしれませんね(笑)」(上野さん)
虫やカエルが遊ぶ牧草地で、新鮮な牧草を食べ運動をしながらのびのびと育った牛は舎飼いの牛に比べて寿命が長く、牛乳を出してくれる期間も長いそう。そして、その牛乳は抜群においしい。

「様々な種類の牧草を食べるので、牛乳の味に奥行きがでます。脂肪分はすっきりとしていて口当たりはいい。夏は牧草の香りが、冬は脂肪分が増えて濃厚になります。ただ農協に全部出荷してしまうので、残念ながらうちの牛乳を飲んでいただける機会はほぼないと思います」(上野さん)
上野さんの生乳を味わう唯一の方法が新利根チーズ工房のチーズ
その上野さんの牛乳を消費者が味わえる、唯一の方法が西山さんのチーズです。
「うちの生乳は季節によって味が変わるので、チーズを作るのは大変だと思いますけどね。こうして惚れ込んで新たなチャレンジをしてくれるのはとてもうれしいです。生乳を利用したケーキ店とか、チーズの製造過程ででるホエーを使ったパン店ができるとか、そんな風に広がっていくのが夢ですね。
当初、15戸で入植したこの集落で、現在酪農をしているのは3戸のみ。昔は年間を通して仕事がある酪農は良い仕事と言われていましたが、現在ではブラック企業ですよね(笑)。私の息子が後を継ぐと言っているのですが、おそらく次の世代でも酪農を営んでいるのはうちだけになるのではないでしょうか。
でも、放牧酪農には可能性が多いにあると思っています。日本全国で問題になっている耕作放棄地などをうまく放牧酪農に活用すれば、少し未来が開けるかもしれない。私ももう少し、追求してみたいと思っています」(上野さん)
チーズは、地域の風土や文化の縮図

西山さんの作るチーズは、上野さんの生乳を使用していることはもちろん、地域の文化や風土にも深く関わっています。鮮やかな黄色が印象的な「月利根」は、千葉で元禄2年(1689年)から酒造りを続ける鍋店(なべだな)株式会社 神崎酒造蔵の日本酒「仁勇」「不動」を使って磨いたもの。鍋店株式会社 神崎酒造蔵は、新利根チーズ工房から利根川を挟んで向かい側、同じ風土の中にある老舗酒蔵です。

また、馬蹄型の「勝馬蹄」は大杉神社(稲敷市)の境内にある勝馬神社にちなんだもの。古くは境内で競馬が行われていた大杉神社は今も競馬関係者や競馬ファンが必勝祈願に訪れますが、西山さんも毎年、勝馬蹄を神社に奉納しているそう。馬蹄型のチーズは必勝祈願に訪れた人からも好評だということです。
「風土のなかで育まれた生乳、この地で古くから愛されてきた地酒だけでなく、信仰や伝統など、チーズはあらゆるものを詰め込むことができるのです。今後もこの風土を表現し、地域の人々に愛されるチーズを作っていきたいですね」(西山さん)
生乳のうまみを凝縮したハードチーズ「暁富士」とワインのマリアージュ
新利根チーズ工房のチーズのなかでも、生乳の味わいを強く感じられるのが「暁富士」。新鮮な生乳を約10ヵ月間熟成したチーズは、干し草とナッツの香りに、ほんのりとした牛乳の甘み、そして熟成によりうまれたコクとうまみが凝縮。まさに風土を反映したチーズです。そんな「暁富士」を、よりおいしく味わえるワインをご紹介します。
ヴァル・ドッカ
プロセッコ エクストラ ドライ ブルー ミレジマート
オープン価格
華やかな香りと、優しい酸味、果実の甘味のバランスがいいイタリア産のスパークリングワイン。フローラルやブーケの優しい香りと、すっきりとした味わいが特長です。
ペアリングのポイント
フレッシュで爽やかな果実味が特長ですが、ワインに感じられるわずかな甘味が、チーズの塩味と旨みを引き立てます。凝縮したチーズのふくよかな香りがプロセッコの酸味をまろやかにする、絶妙なペアリング。
グランポレール 余市ツヴァイゲルトレーベ
参考小売価格:税抜1,916円
北海道を代表する赤ワイン用ぶどう、ツヴァイゲルトレーベを100%使用した赤ワイン。タンニンが控えめで、上品でやさしいアロマとすっきりした口当たりが魅力です。
ペアリングのポイント
キレが良くきれいな酸がありフレッシュな味わいが、チーズの塩味と生乳の甘味を引き立てます。ワインは少し冷やして飲むと、フレッシュ感が際立ちさらに美味。
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